オオカミ男と狂牛病、そして魔女狩りとヒトラーそして反遺伝子組換え

フランケンシュタインはヨーロッパの心の中の産物、非実在による危険な中傷の始まり

   人間がなにを食べるかは基本的人権の問題であることは論を待ちません。 有名なことわさにあるとおり、”馬を水のみ場に連れて行くことはできても水を飲むかどうかは馬しだい”とは常に正しいのです。 そして、遺伝子組換え食品を食べるかどうかは個人判断にしたがって決めるべきものであることに間違いありません。  しかしながら、今日の遺伝子組換え食品をめぐる議論の中で”科学”と”感情”が対立しているかのような吹聴がなされていることにわれわれは大きな危惧を抱かざるおえません。 科学はあやまちを犯すが感情はただしいと言う極論が横行しています。 たとえば狂牛病は科学ではわからなかったではないかだから科学は人類の幸福に反すると言いますがそうでしょうか。 感情がこれを解明したでしょうか。 科学があったからこそ解明され適切な措置がとられとのです(後述)。ー>世界の栄養学史上に残るエピソード

  問題は、個人の感情と権利を科学が否定しているのではなく、感情を利用した根拠薄弱な煽動行為にあるのです。 たしかに科学は、そのときの知識と解釈によっては間違うこともあります。しかしながら、感情の煽動やそれにもとづいた社会システムにより生じる不幸はより残虐であり広範囲に持続し結果的には大衆を苦しめます。 身近な例では犯罪捜査や裁判があります。 これは厳正中立で科学的でなくてはなりません。 感情によりおまえが犯人だと指差されたら皆さんどう思うでしょう。 このような煽動家は民主主義のリーダーとはちがいます。 人類の歴史と幸福はこの”感情”を社会システムにおいていかにコントロールするかの戦いであるといってもいいでしょう。 社会運動においても、やはり感情に根ざしていてもリーダーはあくまでも冷静で論理的でなくてはならないのは近代民主主義の前提であり、それは歴史をみればあきらかです。 

 さらに好例のいくつかを中世以前のヨーロッパにおいてみることができます。 オオカミ男と魔女狩りについてご存知のかたは多いと思いますが、もしこの時代に冷静な科学があったらヨーロッパの多くの人々を巻き込んだこれらの長期にわたる残虐な不幸は防げたでしょう。 古代ギリシャ民主主義ににおいては大衆が陶器の板に追放したい人の名前を書いて投票し明確な根拠もなく風評と政治的に利用しようとするグループの感情的煽動により幾多の罪なき人たちを粛清し、古代民主主義の崩壊を自ら助長した”陶片追放”のシステムはあまりにも有名です。 

 近代においてはヒトラーの独裁政権と公的人種迫害があります。 これは、同時代における日本の2.26事件による一部若手将校の非合法的”ヒステリー”を利用した軍部の台頭とは少々異なる側面があるのをご存知でしょうか。 当時のドイツではヒトラーは合法的政党をひきい感情的に国民を煽動し、良識派や反対派を巧みに国民感情を利用しておさえこみ合法的にあの全権委任法というなんでもありの法律を国会で可決させ、民主主義の国会自らその機能を停止したのです。 すなわち、ヒトラーはドイツの救世主として国民に熱い信頼をうけていたのです。そのあとのことは良くご存知のとおりです。 このとき多くの科学的議論抜きの”科学”が利用されたことも見逃せない点です。 似たようなことは日本でも起こったことをご存知でしょう。

  ここでさきの狂牛病のケースで科学がなかったらどうなるかをちょっと考えてみます。 ひとびとは狂牛病の原因不明の恐ろしさと不意な蔓延と発病に恐れおののききっと悪魔の使いによって”悪魔”の邪悪な心がが牛に乗り移りそれを食べたひとにそれが乗り移って病気がおこるということになる可能性があります。すると、類似の歴史が語るようにひとびとはそれがいつ自分に乗り移るかおそれるあまり、狂牛病を発病した人を治療どころか牛もろとも火に投じて焼き殺すでしょう。そして当然。人々はたいまつを持ってその悪魔とその使いのすみかを風評やうわさにたよって血眼になってさがし、狂牛病のもとの牛を宿すとおもわれる農家やホームレスや変わり者のすみかを片っ端から焼き討ちし、一家一族を火祭りで処刑するでしょう。

 フランケンシュタインの食べ物などと誹謗すること自体(少なくともフランケンシュタインは想像上のものであり実在ではない)、もはや差別と偏見への洗脳にほかならず冷静な近代民主主義の許すところではありません。 世界中で、長期にわたり莫大なエネルギーを投入し社会の付託に答えるべく努力を続けたことにたいして浴びせる言葉であるとすれば、それは無責任であり、また自分自身に浴びせる言葉でもあることも明記しておきたい。冷静にかんがえれば、科学者は社会の付託に答えるべくあまでも”是々非々”で議論し、感情に支配された時に誤った情報の洪水とそれによる予想される不幸な事態を是正し将来を誤ることのないよう、極端な感情的行動に出ないよう真剣に考え呼びかけているのです。 

  情報には、またバランスが重要です。 遺伝子組換えの仕組みばかりが一人歩きしても不安をあおるだけです。 伝統育種とはどういうものか、農業とはどういう産業か、よって立つ安全性とはどういうものか、人類はこれらの場で何をしてきたのか、そしてどうして遺伝子組換えなのか歴史的経過をふくめて理解することも等しく重要であるわけです。  たとえば極端に走らないようGMO作付けを30%までに制限せよとかそういう要求も、いまの反対運動の論理からは引き出せるはずです。また、意図的な悪用が人類に不幸をもたらすのはなにも科学に限ったことではなく、個人、大衆、政治の倫理そのものの問題です。 われわれ科学者にも説明する義務と権利があります。 これらの比較検討材料が公平に提供され、衆知のところとなればあとは皆さんの権利であり判断であります。 

伝統的育種の方法 世界の栄養学史上に残るエピソード

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