遺伝子組換え食物:新しい善悪の判断とは?-真に食の安全に役立つ表示とは?

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By 佐羽尾 友里

 

遺伝子組換え食物の反対者、例えばJeremy Rifkin氏(7/25当ページ参照)や、我々の首相などの詳細なラベル表示愛好家達が作り出したヒステリックな様相の裏側では、彼らはいたって普通の人の表情をしている。多分、彼らは毎週買い物に行き、日常の食料―パン、牛乳、砂糖―を買うであろうが、ふと立ち止まって、それらが元はどんなものであったのかを考えるようなことはないだろう。 

Rifkin氏が家族とパンを買うとき、原材料についてラベルを綿密に調べたり、パン屋にしつこく質問したりすることは好きだろうと思われる。もしそれがライ小麦を含んでいるような場合には(パンや朝食用シリアルにはしばらく入っていた)ぞっとしてそれを床に投げつけるべきであろう。ライ小麦は遺伝子組換え穀物で、小麦とライ麦を掛け合わせた交配種である(正確には六倍体である)。そして、私たちは何年間もそれを食べ続けてきた。 

ライ小麦は乳牛の飼料として開発されたものであり、またその牛もほとんどが、少なくとも商業用の群には遺伝子操作が行われている。遺伝子組換えで強化したごく普通の雄牛から絞り取った微量の冷凍精子がストロー状のものに入れられて輸入され、抑え付けられた雌牛の子宮に人の手で入れられている。この「不自然な」プロセスの結果生まれた牛が、今オーストラリアの東部沿岸の放牧地で草をはんでおり、みんなの毎日の牛乳を作り出しているのだ。 

植物と動物の不自然な遺伝子組換えは、文明が発祥した時から存在していた。これは、私たちがこのことを今まで知らなかったというのではない。知らないように都合よく選択してきていたということだ。「私たちのトウモロコシとなったもともとの野生種は、ぼうぼうに生えた小さな雑草で、おそらくそれをトウモロコシの関連種だとは誰も思えないものだと思いますよ。」と、US Union for Concerned Scientistsの生物学者であるMargaret Mellon氏は去年12月に語った。 

どんな食品も、加工されたものにせよそれ以外のものにせよ、遺伝子組換えがされていないことを証明するのは不可能だ。確かに現在では、すべての遺伝子を構成する4分子が発見されており、種の間の交配が可能で、魚の遺伝子をトマトに導入することができる。しかし、Nuffield Council on Bioethicsの遺伝子組換えに関する今年度の報告書では結論にこう書かれている。「(このことに関して)最も責任があるのは誰なのか、科学者か、開発企業か、それとも農家か?」それとも消費者か?

  農業科学の進歩によって先に恩恵を被ったうえ、幸せにもその進歩について知らないように選択してきた社会は、今となって放牧場や研究室内で何が行われているかを知りたいと要求している。再び生まれ変わった処女のように神聖ぶった消費者は、今になって食物がどのように製造されて何を含んでいるのかを知りたいと望んでいる。ここ数世紀の間、この集団的分別心はどこへいっていたのだろうか?

  遺伝子組換えの議論を行う際の問題は、すべてが真空パックされ、薄切りにされ、さいの目に切られ、ラップで収縮包装され、フライにいかが?という社会、消費する食物の生産地点から地理的にも文化的にも遠く離れた社会にある。真実と向き合うこともできず、また向き合う気もないため、消費者は次の二点を満たすことを望んでいる:それは、きれいで青々としており低コストで“いやなもの”を含まない、そしてスーパーの棚にきちんとおかれている、という二点である。

  消費者は、自身がむさぼり食べているラム肉のカツレツについて、子羊がその頭を絞首台に乗せてこめかみの間をスタンガンで打たれ、機械の刃物でのどを切られたことを本当に知りたいのだろうか?「必要なことだけラベルに書いて、それ以上は書かないでください」という一例だ。

  コストを負担したり、遺伝子組換え作物の開発にまつわる間違った情報が国民へ伝えられたときに非難の矢面に立たされるのはいつも農家である。「農家は殺人を行っている」と憂慮したAgeの一読者が書いている。 

そんなにほしがっている情報に消費者は金を払う用意があるのだろうか? 消費者は私たちの食べ物やファイバーの製造に含まれる、もっと問題のある倫理を喜んで受け入れるのだろうか?もし遺伝子組換え穀物が禁止されたら、遺伝子組換えなしにやっていく重荷を誰が背負うのか?

 人騒がせな人の筋書きに反応したりバイオ技術者や第一次生産者を困らせようと吠え立てる代わりに、我々は自然のものは何もないことを認めてしまった方がよいだろう。我々は生物学的な無知はもうとっくに失ってしまったのだ。 

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