リスクの付加と交換

 

   これまで行われている遺伝子組換え安全性議論には根本的な問題点がある。 すなわち、遺伝子組換えによってすべて”正”のリスクが現在の我々の環境や食生活にもたらされるということを前提とした観点である。  この包括的な観点は、少なくとも食とか環境というすでに進行して止めることのできない行為に対しては正しくない。 また、このような議論は我々が求めたい”食や環境への安全”を無視したものである。 

  食品の健康へのリスクは厳密には、リスク交換とリスクの付加に大別される。

1. 現在の食生活で食品Aのかわりに、おいしいとか安いとか健康にいいとかで食品Bを買うーこれはリスク交換である。 すなわち食品Aがもつリスクを選択しないことによって除去するかわりに、新たに選んだ食品Bのリスクを受けるというものである。 食品リスクを理由にAのかわりを選択しなければ、こんどは”飢餓”によるリスクが増加する。

2. 現在の食生活でいままでのものに加えて、あらたに加えるものである。 たとえば、いつもは食べないが、今日はキャビアを買って食べてみようというたぐいである。 この場合はどのキャビアを選択するかではリスク交換だが、その人の食生活では選んだ品物によるあらたなリスクが付加されることになる。 新しい調味料を使うなどもこのたぐいである。 この場合、カロリーが増えるのであるから飢餓のリスクは減少する。

ただし、ここで注意しなければならないのはリスクが絶対にゼロであるものが存在しないことである。 この場合は当然、リスクの評価は相対リスク論とならざるおえない。 とすれば、対象を採用することにより正のリスク(リスクが増加)あるいは負のリスク(リスクが減少)がの両方のケースがありうることになる。  通常はこの基準を現在のものに置くことがわかりやすいだろう。 そうするとたいていはリスク交換論となるわけである。 また、誤解してはいけないのはリスクの現在の基準を”ゼロ”として、そこからのリスクの増減を論じるときこの”ゼロライン”を本当にリスクがゼロであると誤解しないことは大切である。 遺伝子組換え食品の場合は殆どがこのリスク交換に当たる。 すなわち、今までの農産物や食品の一部を置き換えるからである (下図参照)。

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  ところがこのリスク交換論のときに起こりやすい間違いは、いままでのものはリスクゼロと勘違いすることと、伝統育種法と遺伝子組換え育種法とを独立の事象として比較しようとしてしまうことである。 これはよく考えると非常におかしなことである。 すなわち、これらの方法には、非常に多くの側面があり、適用対象によりそのリスクの種類と発現は千差万別であり、しかも互い連結しているため、独立的に論じる根拠はまったく見出せないからである。 伝統技術や産物にも多くの欠陥や危険性があることはよく知られたことであり、局面によっては遺伝子組換えがそのリスクを取り除いたり、補償したりする場合もあることを絶対に否定できないのである。 この場合は遺伝子組換えの結果が負のリスクを有することになり、我々の直面するリスクを減少させる。

  次なるリスクの混同は、技術の持つリスクと産物のもつリスクとの混同である。 たとえば、原子力と火力発電の比較では、その技術自体がもつリスクが問題となる。 なぜなら、原子力と火力発電ではその生産物の”電気”を生産する過程ーすなわち技術がもたらす害悪が問題となる一方で、その結果である生産物、すなわち電気の安全性は同等であり議論の必要性はない(あるとすれば、どのぐらい必要かといったこと)。 遺伝子組換えも伝統育種も両方とも技術よりはその結果の産物、すなわち育種、改変された生物の安全性が問題となるからである。 技術はその生物を生み出したとたんに消滅すると考えてよい。 

  原子力にともなう核廃棄物はやがて消滅するが、遺伝子組換えはその技術の使用をやめても永遠にのこり増殖しつづけるという議論は、以上の観点を単に継ぎ合わせたまったくのでたらめであるといってよいだろう。  すなわち、核廃棄物の放射線や化学物質の有害性は生物に対するものであり、それらによって、突然変異などの遺伝的に影響を受けた生物の可能性について比較すべきであり、技術の消滅性を問題にするならば遺伝子組換え技術は伝統交配技術や核廃棄物や有害化学物質よりも速やかに消滅させることができることを忘れてはならない(単に法律などで禁止し取り締まればよい)。 しかし、核廃棄物や化学物質は法律で使用禁止にしても物理的な寿命をまっとうするまではなくならない。  そして、当然その影響をうけた生物は、たとえば遺伝性ガンという形で存続しつづける。 取り締まりの観点からいえば、遺伝子組み換え育種のほうが、伝統育種より安全である。 すなわち、伝統育種で有害なものを作出することは、設備等がいらずだれでもできるため、取締りは極めて難しい(例えば、大麻の新品種育種や栽培)。 また、野外で行われることの多い伝統育種では何千、何万といった数の育種の中間産物(奇妙なものや有害なものも生ずる)の処分や交雑も本来問題とすべきである(育種方針とライアビリティの比較)が、秘密裏に処理されあるいは放置されている。 飼料用、工芸用などはじめ食用不適品種あるいは有害品種の混入や交雑なども問題であるが、遺伝子組み換え産物のようなマーカーDNAに乏しいため検出が単に困難であり、検査法に乏しいだけである。 べつに無害であるわけではないのである。

  また、リスクにはすでに知られたリスク、すなわち既知のリスク、わからないリスク、すなわち未知のリスクがよく知られているが、実はもう一つ重要なリスクがある。 それは、単に知らないことによるだけの”不知のリスク”である。 一般に、この不知のリスクは未知のリスクと混在することが多く、物事の安全性を考えるうえで重要である。 この不知リスクが未評価で背景に残されている限り、未知のリスクの評価は現実性をもたなかったり、検出不可能であったりする。 たとえば、既知リスクが100で不知リスクが100か200かわからない状態で10以下の未知リスクのことを議論しても安全性確保とはまったく無縁の話だろう。 この不知リスクは単に”勉強”すればいいわけで、学ぶことによって”不知”でないようにしておくことが必須である。まして、交換リスクの原則により、リスク低下を伴うものの未知リスクや微少リスクを議論するときは慎重でなくてはならない。 

  以上からやはり、現代の高度技術化社会においては、伝統技術、新技術とわずリスク管理は総合的でなければならず、しかも相対リスクあるいはリスク交換の考え方がもっとも我々を安全に導くといえるだろう。

農作物は、人類が作り出した奇跡の植物である

スターリンクはピーナッツバターより700倍も安全

food/植物は化学プラント(工場).htm  

  野菜ジュースがはやってますが、本当に安全?  野菜などの植物には、量の多少はありますが、有毒な成分が含まれています。通常の摂取では、危険量はとることはないでしょうが、ジュースにしてなまの状態で濃縮してしまうと果たして大丈夫か? 植物は多くの化学物資を合成します(上記も参照してください)。 また、細胞が壊れることによる成分同士や空気中の酸素との化学反応あるいは、酵素による過酸化や還元、脱グリコシル化などの変化による有毒化も気になります。 食用のものが原料だから産物も安全ということでしょうが、やはり、ちゃんとした安全データ-が見たいですね。  

   food/植物のもつ毒素の例.htm

食品危険論  農作物がかかる病気による毒素  食品におけるリスクの構造


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