Green Peace はついに、核エネルギーや農薬など化学物質の広範な使用を容認ー彼らこそ次世代に重荷を負わせるグリーンポリューションである。

  Green Peaceはつい最近、GMをGreen Pollutionと呼び、ついに核廃棄物や化学物質より危険であると位置付けた(原文)。 このことは彼らの重大な主張の変更を意味する。 

  1.まずこれらの有害性を生物に対する突然変異変や発ガン性を含めて主張していたにも関わらず、核や変異原性の農薬やダイオキシン始め化学物質の遺伝子への影響は後に残らないという主張に変更したことを意味する。 これは笑止千番の”新説”である。 ウクライナの核事故で放射線の影響をなんと主張していたか今一度記録を繰りなおすべきである(子孫への影響はなし?)。

  2.核廃棄物が出しつづける放射線や変異原性化学物質による遺伝子への次世代以降への影響はないといういうつもりだろうかーそれともこれらによる遺伝子変異はそれらの原因の消滅とともに消滅?

  3.消滅するまでに生じた変異で予期せぬ特異な生物ができる可能性は否定できるのか。 

  4.伝統育種では限界に達しており、GMをもって解決しようとする農業上や食糧生産上の問題の解決には、核や化学物質を使用し、その処理は次世代以降にまかせることはかまわないということである

 さもなくばGMで解決しようとする次世代以降にわたるそのような問題はこの地球上に永遠に存在しないと主張するのと同義である。 彼らの論理では砂漠地の緑化は、石油や核エネルギーをじゃんじゃんつかって公害を撒き散らしてでも作ったエネルギーで海水を淡水化して灌漑したほうが安全で有益だと主張し始めたとおなじである。 それともやせ地はやせ地、砂漠は砂漠、栄養不良は栄養不良でいいというわけか。

  さらに彼らは、GMは地球上に増殖し拡散し将来我々や地球環境に危害を加える恐れがあると、主張し核や化学物質は使用を止めればいつか消滅するから、生物であるGMよりはるかに安全という。 さきに述べたように、止めるまでの間の生物への影響を考えたのだろうかということ以外にも重大な誤りがある。 生物は、核廃棄物等とは異なってそれ自身新たな生態系を作る能力があり、特に植物は太陽エネルギーを地球に固定する役割をもつ。 また、各種生物との競合関係がある中でGM作物が伝統育種や農法による不確定な将来リスクより大きいと決め付けることは難しい。 さらに、核や化学物質で不毛の地となる、あるいは意図しない変異生物が出現するより、生態系が破壊されるより植物でおおわれ新たな生態系を形成するほうがはるかに人類にとって、地球の生物環境にとって有益である。 

ついで彼らの大きな誤りは、GMは他の生物の遺伝子を広範に取り入れるから危険だという。 これに対して伝統法は近縁種同士だから問題ないいという。 これは全く根拠がない。 GMでいれる数個の遺伝子で生物種は変わるらないが、伝統法で導入、変異させるおびただしい不確定遺伝子の結果、種が変わってしまうことを無視している。 また、交配可能種が有毒だったり、旺盛な雑草だったりすることはどう考えるのか。 例はジャガイモなどのナス科、ナタネなどの十字科、デルフィニウムなどのキンポウゲ科(トリカブト類)など枚挙にいとまがない。 かれらは、同様にこれらの問題を主張すべきであるが、それはすべて近縁種だからOKであるという。 さらに彼らの論理からすると、問題になっているのはGMでは、たとえば魚からの遺伝子だって組み込めるという遺伝子の利用範囲であることを言っているわけで、それだったら、GMの範囲を同じ近縁種に限定すれば、余計な未知な、不要遺伝子を触らない分、伝統育種よりずっと安全な育種ができるはずである。 まして安全審査のない、伝統育種や農法に安全である根拠はないことを銘記すべきである。

   彼らはまた、GMを開発している研究者はやがて老いていくが次世代はその重荷をしょわなければならないという。 この議論にいたっては、以上のあさはかな矛盾だらけの空想議論にもとづいて自分たちの主張だけが正当であり、次世代のためになるというものである。 とんでもない。 ここ100年で大きな限界に行き当たった農業生産や環境問題の解決のために生物を利用するための重要な技術を、我々の次世代のために残すことを実証的に目指しているのだ。 あまりにも他人を冒涜した傲慢な態度である。これではヒットラーの若かりしころの主張とほとんど質的に同じである。 彼らの主張の結果将来に待ち構えているのは、飢えと果てしない労働と汚染した地球である。  彼らの主張はすべて”推量と想像と憶測と偏見”から出発している。 小さい子供をつかまえて”おまえは将来きっと悪魔になるであろう”といい、食卓では、それは病気になるぞとか子供に影響するとかいう、聞きもしない聞く必要もない情報と想像をしゃべりまわるまゆをひそめるような人たちではないだろうか。 いまや、彼らGreen Peace=GPこそ、次世代に自分たちの観念的主張の責任を負わせる”Green Pollution=GP”である。

 

By SA


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