民主主義の不足が食糧不足の原因?

食糧は充分量ある論。People, Not Technology, Are the Key to Ending Hunger; the Debate over Biotechnology Is a Tragic Distraction (Posted: 27-Jun-01)  計算上は、世界の食糧は余っており、確かにそのとおりだろう。 単純には、我々、先進国ないし食糧の充分ある国の人々が食べる量を20−50%減らせばよい。 上にあわせるか下にあわせるか、という話だ。 上にあわせれば、流通ロスや収穫・貯蔵ロスもあるので足りなくなる。 で低いほうに合わせるといい。 では、現在ある多様な文化や思想あるいは地理的多様性の壁をこえてそのような分配が実行可能なのか。 このような食糧”分配論”はずいぶん前から議論としてはよく出るが、実行できたためしがない机上の空論といえよう。 このような有効な分配の仕組みさえあきらかでない。 たとえば、今年は米が不作でアワが豊作だからアワを食えとか、豚が減ったから牛を食え(宗教によっては大問題)など配給的な事態も視野に入れる必要がある。 このように文化や生活の多様性を否定しかねない上に分配を握ったものは絶大な権力を持つ可能性がある方法がもつリスクは極めて大きい。 すなわち、”民主主義の不足が食糧難を引き起こしている”という著者の主張を突き詰めると、結局は、著者の理想のゴール(民主主義)に反し、食糧不足のかわりに上述のように強制配分という”民主主義の不足”が”配給”されるという致命的な欠陥がある(理念とゴールが相矛盾する。 それゆえ、このようなことは人類の思想や倫理感、政治が、この自己矛盾を解決できるもっと進歩した社会でなければ実行はできないだろうし、それにはまだ何世紀かかるかわからない。 このように分配論は、社会思想の問題が大きく必ずしもテクノロジー否定論と同一にすべきでないし、現世紀においては、地域ごとにすみやかに適用できるテクノロジーが持つリスクをはるかに超えるリスクを分配論は持っているといえる。

 


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