4/30 列車事故とGM食品に関する報道の類似点-責任の所在の創造

  マスコミの報道というのは、不思議なものである。 GM固有の問題ではなく、以前からあったのにあたかもGM育種だから起こったという類の報道を、不注意あるいはだれかの思い込みや扇動で繰り返すことがあり、当HPでたびたび批判してきた。 なぜ、これを今掘り返すかというと、理由がある。先日、尼崎で大変な電車事故が起こり多くの方々が亡くなったことは痛恨の痛みであることは、皆同じであり、日々の報道に見入るものである。 そこで、急に報道されだしたのが、電車が駅でとまるときのオーバーランである。特にJRのオーバーランが連続5日続きだとかいうように、あたかも急に増え、それが、今回の痛ましい事故につながる原因であるかの印象を与える。 今回の事故の直接の原因ではないものをやたら取り立てるのはどういうことか? 私の経験からしたら、へえーというていどだ。 私は電車のスピードメーターと電流・電圧計と速度、勾配、傾き、半径、停止位置や距離などの運行標識をみるのが趣味だ。その私の経験とは:大阪の阪和線の東貝塚駅を出発した電車が、水間鉄道をまたぐための急勾配直線でのぼり詰め(60km/Hぐらいまで加速)、頂点から下り直線にかかり、モーターをオフにして自然加速して80km/Hぐらいのスピードになったが、本来止まるはずの和泉橋本駅に差し掛かってから急ブレーキをかけた。当然、止まるはずはないから(電車はすぐに止まらないとJR(国鉄)も宣伝してる)、駅を高速で駆け抜け、駅端から始まるカーブ(R1200だと思うが)にかなりはいったあたりでようやくとまった。私は最後尾にいてスピードメーターをみていたが、駅ははるかかなたであった。それを延々とバックしたのである。 おそらく数百メートル、車両が6両か8両編成かなんかだったから、先頭車両からいうと500メートルはオーバーランしただろう。この場所は、快速電車では通過し、そのカーブの先の谷底の直線で時速90−100km/Hまで自然加速する。 35年前のことである。その時、運転手の処分なんて考えもしなかったが、今になって急に心配になった。それよりも小さいのは、数え切れないほど見た。 最近、めったにいかない東京に出かけ、空港行きの地下鉄にのろうと、ホームに向って階段をおりたら、たまたま来た電車がオーバーラン(10m?)でバック。 すなわち、電車のオーバーランは昔から日常茶飯事で、それ自体はいまさらとりたててどうこう言う問題ではない。今回の尼崎での事故の問題は、制限速度をはるかに超えてカーブに突っ込んだことだろう。少なくとも私の人生で見た限りでは、どんなに遅れようと(乗客が期待しようと:もっと飛ばせと?)カーブなどにある制限速度を明らかに超えて運転した運転士は見たことがない。 JR四国管内では、直線を100km/H以上で走り、急減速して70kmぐらいの急カーブを車輪を鳴らしながら曲がるなんてなのは、よくあるが(客室内に現在のスピードがでるので)、別にあんな事故は起こっていない。道路では、車の”オーバーラン(スピードの出しすぎやブレーキのかけそこない)”で他の車や人をひき潰すことは毎日、どこかで起こっている。 路線バスなどでもよくある。バス停で首を長くして、車道に片足踏み入れんばかりに遅れたバスをいらいらしながらまっている客に向ってくることすらある。それで、やむなく、後方へ退避である。 それに、今回の事故に関しては、遅れのほかにオーバーランに対する処罰がきつすぎると非難してるわけなのに、マスコミのやってることは逆だ(オーバーランを取り立てる)。 

また、JR西のアーバンネットワークをJRの独り善がりの強引な営業というような報道をするが、これは、外部(東京方面?)の人間が勝手に創造したまったくの誤りである。 私は、小学校から高校時代まで大阪圏内にすみ、電車を乗り継いで1時間ー2時間かけて学校に通った。住んでいたのは、今回の問題になっているアーバンネットワークの他方の側の片町線の沿線で鴻池新田というところであった。京橋で環状線や京阪電車に乗り換えるのだが、環状線や他の線区と比べ、単線で重い電車がトロトロ走り、本数が少なく接続も悪く、"がた町線”と軽蔑して呼んだ。京橋ー鴫野ー放出ー徳庵ー鴻池新田とわずか5km足らずを12-15分かかった。もちろんラッシュ時は足が地につかないすしずめで、対抗電車が遅れようものなら対抗待ちのため身動きのできない苦痛の時間を車内ですごした。 そして、終点の片町はまさに片田舎町の風情のある寂れた盲腸だった。学校の帰りに、3-5分に一本の環状線から京橋のその片町線のホームでさびしい気持ちで20分に一本の片町からくる電車を待った。環状線が駅に入る手前で、下に交差する片町線の電車が入ってこないか確かめながら、停車してドアが開いた瞬間飛び出し、階段を3段飛ばしで駆け下り、片町線の電車のドアに突進したこともよくあった。環状線が10秒遅れたら飛び乗れずドアを蹴飛ばしたことも。 次は20分後なのだ。しかし、片町線は単線部分での対抗待ちや貨物列車通過があるため、それなりに定時運行する必要があった。また、神戸方面には、大阪駅まで行って乗り換えなければならず、大阪の北部にくらべ著しく不便を感じていた。私の一家がこの地の便利の悪さに嫌気をさして、快速の走る大阪南部に移転し、さらに私が大阪を離れ、愛媛の地にきてだいぶたってから、片町線と似た境遇にあった福知山線と片町で接続することを基幹としたアーバンネットワークの構想が具体化し実現した。 私は、心から祝福したものである。 すなわち、これは、住民の切なる願いであり、夢だったのだ。 そして、関西圏では、電車の乗り継ぎを秒単位でこなし、駅の切符の自動販売機での切符の購入を、使うコインとおつりの関係を利用して早さを競い、乗り換えては車両内を移動しさらに乗り換えやすいドアに立ち、ドアがあくやダッシュしてまた乗り換えfていったものである。したがって、電車の遅れは、遅刻するかどうかの大変な問題であり、すしずめ列車からの開放や列車の選択枝の増加は通勤や移動にゆとりを生む。地価も上がり、資産価値が上がる(例えば大阪駅までxx分で本数が多くて.…という公告)し、それらに基づいた”文化”のようなものもある(時間に正確等)。”過密ダイヤ”と罪悪視するが、見かたによれば乗客・住民の強い要望であり文化であり利益でもあったのだ。 

 こういう状況であるからダイヤを守らないことにより生ずる、新たなリスクもある(予定が狂うことによる、不利益や群集的危険状態、暴動、勘違い等運行管理障害等々で事故例(例えば、信楽高原鉄道事故が電車の遅れが勘違いを誘導した)もある)。軽々しい車両の軽量化批判(衝撃は重さに比例する:重けりゃそれなりの問題も)など。また、昔のように重い車両は、遅い加速と騒音で都市を快走するには不向きである。こういった矛盾した(異なるものを2つならべ、あたかも因果関係があるかのように)因果関係すりかえ(を期待?)たり、少ない情報をレポーターやキャスターの思いつきでこねくり回して解釈し、もとの情報量の10倍以上にもなったものをもっともらしく伝えるサブリミナル的報道姿勢あるいはリスクバランスを著しく欠いた扇動的単面的過剰解説は、GM食品に対するものと極めて似通っているように見える。これらこそ、視聴率至上の営業主義が発する問題だ。

 事故調査委員会や警察は、このような環境に惑わされることなく、科学的にきっちりと原因と責任を追求してもらいたい。 また、これを軽軽しくJR単独の罪悪とするのも納得ができない。ある意味、我々(過去も含めて)利用者の責任でもある。そういったことを踏まえ、総合的リスク管理のもとに安全策が策定されるべきである。

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