遺伝子組換え食品問題の論点

狂牛病と肉類のダイオキシン汚染はEUの人々の責任であり、社会システムの問題でありGMO議論とは本来関係がない。

  とにかく、現代農業の抱える問題の科学的、経済的、あるいは歴史的なな分析に基づいた冷静な遺伝子組換え議論がおこなわれ、適切な安全確保の方法と流通のルールが確立することを願ってやみません。 このまま無益な闘争を先進国で続けていても(人口約10億で停滞中)、やがて発展途上国(人口約50億で続伸中)を中心に世界の食糧生産の50%はGMO化するでしょう。 また、先進国のリーダーシップは危機に瀕するでしょう。 そのとき皆さんはどう考えますか? これで、地球は救えるでしょうか?

   最近のGMO(遺伝子組換え生物)議論を聞いていると、どうやらEU-GPの論理がほぼ全貌をあらわしました。  狂牛病と肉類のダイオキシン汚染の不信感をGMOにぶつけているようですが、要するにこれらはヨーロッパの国が発端で自分たちの不始末の話ではないですか。  科学が原因でおこったことではなく、狂牛病は人々が愛する”母なる自然の創造”であり、飼料のダイオキシン汚染は自分たちの不注意で、むしろ科学がこれらを明らかにし適切な処置を処方したのです(日本でもPCBによる食用油汚染がだいぶ前にありました)。 狂牛病では確かに解明の途上紆余曲折しましたが、結局、解明されました。 科学がなかったらどうなっていたかの考察世界の栄養学史上に残るエピソードを参照してください。 

   科学はあてにならないといいますが、科学に紆余曲折はつきもので、いまから100年前に始まり、50年前に決着した遺伝子の本体はなにかDNAかタンパクかの議論の経過とどこかにています。 これまで100年以上も行われてきた近代育種の現場の判断を定量化しルール化した実質的同等性を、育種と農業の実態に科学的にふれずに否定することは結局は自分たちの掲げる育種と食の安全を否定することと皮肉にも”実質的に同等”であることに気づくべきです。 偏狭な独善や宗教や偏見、ヒステリアに基づいた宗教裁判や魔女狩り、人種偏見にくらべれば科学のほうが事物の解明と技術の発展にはよっぽど向いています。 最近ヨーロッパではGMOのことを”フランケンシュタインの食べ物”と中傷していますが、フランケンシュタインはヨーロッパの人々の心に生きているもので実在するものではありません。 一方、ここに上げた魔女狩りや宗教裁判は、ヨーロッパにおいて本当にあった歴史的事実です。 皮肉にもヨーロッパで科学が生まれたのはこれら宗教・呪縛、おそれや独善、無知にもとづく思想に支配されていたことからの脱却であったことを忘れてはいけません魔女狩りと狂牛病と遺伝子組換え さらにたとえれば、最近の反GMOキャンペーンは”自分は万引きのくせがあるからおまえもそうに違いないからスーパーマーケットにいくな”と言う”から”をつけた憶測の論理に似ています。要するに自分たちの歩んできた道とその進歩を否定しているのです。 要は個人のクオリティの問題ではないですか 非科学的キャンペーンが科学に対して行われ不幸な結果になった事例が実は我々の日本にもあるので 反対するにも科学は必要です。 実例を参照くださいー>世界の栄養学史上に残るエピソード 

  また、科学技術と一語で言ってしまいますが、科学と技術を同一視してはいけません。 非科学的な技術というものは存在しえるわけです。 さらに技術は利用する人の倫理や技量に依存してそのパーフォーマンスが決まりますが(原爆などは技術の問題)、科学はあくまでもより真実に近いことを探求する学問でそのパーフォーマンスに境界や差別はありません。だれでも利用できる真理の追究であるのです。 人類の幸福のために科学を使うという立場にたって科学的にGMO是非論をすべきであるということです。

   さらに、現在の構図からすると発展途上国と米国がGMOを推進していますが、日本のマスコミは米国しか取り上げていませんが、じつは、ここのところが大事です。 なぜ発展途上国と米国がGMO推進なのかというと、過去にリカエル・カーソンの”沈黙の春”で露呈した自分たちの過ち、すなわち、農薬と肥料づけのエネルギー集約型農業生産にたいする反省があったからなのです。 さらに、農薬はやがてきかなくなり、常に新しい品種とともに新しい農薬を開発していかなくてはならないのですが、近年の環境運動のために新しい農薬開発は極めて困難を極め皮肉にもモンサントやデュポンなどが脱農薬後の農業を見据えたからにほかなりません(脱農薬は当然である)。 このような高価な開発コストの農薬を発展途上国が自由に購入できるはずはなく現在でも、先進国では人畜環境に有害といわれ使用禁止になったBHC(HCH)やDDTなどを大量に使用し、広範な海洋汚染を引き起こしていることからの脱却の第一歩なのです。 さらに、反GMOキャンペーンがこれら農薬はすでに長期に使われておりその影響がわかっているから安心などと言い出しているのは、じゃいままで自分たちはいい加減なことをいってきたということになりませんか。 さらに農薬の影響は何十年以下のデーターしかないし、新しいものはどうしてもっと影響を評価しようといわないのか、胎児への影響もあるのですよ。 我々が人畜環境に有害として先進国で禁止したDDTやBHC(HCH)はもう50年も途上国で使われたので、もう安全だから解禁したらということになりませんか。 予防的原則を掲げるなら、徹底的にやってもらいたい。 とにかくもう矛盾だらけです。

 また、先進諸国で行われている高価な農薬と生産資材を使用するエネルギー集約型農業により増産されている食糧は、発展途上国にとっては非現実的な高根の花であることは論をまたず、単純な食糧の分配の不平等ではすまないのです。 このような安易な場当たり議論を続けていくと、先進国のリーダーシップが疑われるのみならず、先進国と発展途上国で環境・農業問題に関して鋭く対立し、地球温暖化予測を大きく修正せざるおえなくなったように、結局は地球を救えない自体に陥る危険が増大しています。 すでにその兆候は顕在化しているのです。

  消費者団体やGP(Greenpeace)がモンサントやデュポンといったGMOメーカーでもあり農薬メーカーによる寡占化を問題にしていますが、これは当然のことながら環境、健康問題のため農薬の新規開発に長い時間と何十億という巨大な投資が必要となり、そのリスクを負担できる大メーカだけが生き残ったわけで(しかも農業資材はそんなに高価にできないので投資の回収にも長い時間がかかる)、これは必要なことだったのです。 そして、これらのメーカーが将来の脱農薬を見据えた結果でもあり、なぜそういう状態になったかというとこれも皆さんがそうしたのです。

  以上をまとめるとなぜGMO議論が推進派と反対派でかみ合わず鋭く対立しているかというと、EU-GP側は自分たちの不手際に基づく不安や(すなわち一部の人類の)倫理に対する不安を人類に一般化し、現在の育種や農業の問題に科学の目を向けないで議論しているーすなわち自分たちがしてきたことやGMOとは直接に関係しない事柄あるいはむしろ現代の農業や経済あるいは育種の問題点であるはずのことを観念的にGMOに転嫁し(GMOに対する不勉強?)、”是々非々”の議論をはじめから拒否しているのに対しー

  ー推進側はその論理構築のうえで、従来からの食品安全性と過去の農業環境や生産そして育種の問題に立脚した、GMOに直接関係する事柄を掲げて是々非々で議論しています。  GMOは決してここ数年でできた技術ではありません。 30年もまえから綿密に研究され安全性を確認しながら世界中で議論してできた技術です。 

 ビジネスについては両方とも同じぐらい覇権(Eu対米国)を争っています。 すなわち、GMOを使う使わないで儲けるグループが違うだけのことです。 GMOの両雄である、モンサントとデュポンはどちらも農薬メーカーであり、GMOが売れなきゃ農薬を売って収益をあげるお墨付きをみんなが与えたも同然です。  あれだけ、減農薬のGMOをやり玉にあげたのですから。農薬の海洋汚染で愛するクジラやオットセイが被害を受け続けても仕方がないでしょう。 GPは勿論、農薬農業のほうを選んだ人々は、もうしばらくは農薬の潜在的被害にもの申せないのではないでしょうか。 さらに大事なのは技術の意図的悪用は人々の倫理の問題なのです。  

 

魔女狩りと狂牛病と遺伝子組換え

育種ホーム  目次 遺伝子組換え食品は健康食品