分子細胞生物学研究室設立の歴史ー一人の研究者と新しい学問領域の体系化への歩み。--その1

 

 

 私が、植物細胞に関する分子細胞生物学的観点を持ち始めたのは今から20年前の大学院学生のころである。当時、私は植物プロトプラストの電気生理を研究していました。専攻した研究室での卒業論文のテーマは、当初は車軸藻の電気生理でしたがもともと電子工学が好きでしたのでいろいろの測定装置を作っては細胞を計測して楽しんでいました。細胞膜電位のクランプ回路やフィードバック回路の位相補償の理論式などを作って回路を安定化する方法を考えたりなどです。しかしそのうちに再現性のある測定値を得るには植物の生育をきちっとコントロールしなければならないことに気づき、独断で車軸藻の育成のための培地とその他の条件の検討をおこない、結局は”Nitella axiliformis の培養”で卒業論文を勝手に書いてしまいました。修士過程に進んだころに、それまで使っていた種類の車軸藻ではプロトプラストがうまくできなかたので、いろいろ調べていたら、大阪大学の知り合いから、Nitella expansa ならプロトプラストになりやすいと教えてもらい、以後、1年ほどかけてこの種を生育コントロールしながらプロトプラスト分離の最適条件を見つけ出しました。直径0.3-0.7mmの肉眼でも緑色の粒として認識できる巨大プロトプラストを再現性よく得ることができました。

 しかし、このプロトプラストに電極を刺入しようとしてもうまくゆかず約6ヶ月がすぎました。ある、秋の日、プロトプラストに電極を押し付けたままコネクターを着脱すると刺入されることがあることに気づき、冬の乾燥した日にもそういうことがあったことをおもいだし、プロトプラスト膜が静電気誘導によりせん孔されることをみつけました。直ちにリードリレーをドライブして100マイクロ秒単位で過渡電圧パルスを印加できる電位測定装置をつくり通電刺入法を確立し、そのあとの3ヶ月で活動電位を含めたプロトプラストの電気的基本特性を明らかにし修士過程をおえました。

 電気的に穿孔したときの細胞膜の動きはまるで生き物が息をするようなもので、感動的でした。時は1977年の秋でした。ちょうどこのころ動物細胞ではPennmanらが細胞骨格の翻訳過程への寄与を発表していました。当時の私には細胞骨格という概念は希薄でまったく異なる分野にいる彼らの仕事に気づく由もありませんでしたが、この細胞質の動きからなにか膜と細胞質に弾力的なゴムのような収縮性の構造が存在すると考え、当時の教授にこの考えを説明しましたが理解を得ることができず一笑に付されてしまいました。年が明けて確か2月ごろ、私の修士論文を提出した後この穿孔現象を利用して、当初の目的であった電気刺激による細胞融合ができるかもしれないと考え何回かの試行錯誤の末、約一月程で電気刺激により車軸藻の巨大プロトプラストを融合させることに成功しました。この後植物の培養細胞で実験を行いその結果を教授がNatureに投稿したのがその年の夏頃でした。しかし、Natureへの掲載は課題が専門的すぎるとしてもっと専門的な学会誌に投稿するようコメントとともに拒絶された結果が年も押しつまった12月の末に帰ってきました。、1979年1月に教授は日本植物生理学会の英文誌に投稿し直し1979年秋に出版されました。しかしプロトプラストの細胞膜とサイトゾルを含めた層がCaイオンの制御をうけて電気刺激により収縮する現象は私の脳裏からはなれることはありませんでした。しかし、当時の研究室の体制からそのような研究は許されるはずもなくとりあえずプロトプラストと培養細胞の電気生理学とその応用についての博士論文をまとめながらただ無念に思っていいたところへ、米国から一通の手紙が私当てに舞い込みました。一方Pennmanらはさらに1979年に細胞膜にも裏打ち構造があると”membrane-skeleton"を発表していました。

 


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